東大阪
打ち合わせのついで。
8月頃に、見返しもしない写真をやたらと撮るのは止めようって決めてから、
惹かれる光景以外でシャッターを切ることはやめてしまったけど、
それでも大体何処に行くのもカメラは持参してます。
GRくらいのサイズがやっぱり良いけど、買うのはお金が勿体無い、
くらいの感覚なのが、以前とはだいぶ自分が変わってきたのかもしれません。
by iidacamera
| 2019-11-19 00:00
| 日々
|
Comments(2)
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by
bonyaly
at 2019-11-19 22:01
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かつて、今よりもっと若かった頃
見ていることを意識していない日常の
「なんでもない」光景こそ将来見返して懐かしくなるものだ
ということに気付いて(それが本当かどうかはわからないまま)
意識して頑張って何でもない光景を記録し続けた時期があったのですが
蓄えておける記憶の量に限界があることに気付くとともに
加齢とともに記憶力が衰えるのにしたがい
過去を振り返って未来のことを考えたり、
参考にする必要性が少なくなって
「記録」への欲求や拘りがなくなって、
自分自身の写真の撮り方も変わってきたように思います。
記憶と記録、その道具としてのカメラについては
本当に悩ましいですよね
見ていることを意識していない日常の
「なんでもない」光景こそ将来見返して懐かしくなるものだ
ということに気付いて(それが本当かどうかはわからないまま)
意識して頑張って何でもない光景を記録し続けた時期があったのですが
蓄えておける記憶の量に限界があることに気付くとともに
加齢とともに記憶力が衰えるのにしたがい
過去を振り返って未来のことを考えたり、
参考にする必要性が少なくなって
「記録」への欲求や拘りがなくなって、
自分自身の写真の撮り方も変わってきたように思います。
記憶と記録、その道具としてのカメラについては
本当に悩ましいですよね
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Commented
by
iidacamera at 2019-11-20 09:42
> bonyalyさん
何処のタイミングからか分かりませんが、加齢とともに自分に必要な記録、
っていうものがシンプルになってきますね。
僕は久しぶりに娘と一緒にウクレレで音楽を始めたこともあって、
写真に対してムキになることをやめてしまいました。
というか、ムキになるのをやめたいから音楽を楽しんでるようにも思えます。
被写界深度にこだわることもやめてしまっているので、本来なら僕みたいな人間こそ、
1インチコンパクトが合っているのかもしれませんが、普段から業務でカメラを触っているせいで、
ゆったりしたカメラにはイライラしてしまう、っていう変なこだわりがあるんですよね。
ホント難しいです。
何処のタイミングからか分かりませんが、加齢とともに自分に必要な記録、
っていうものがシンプルになってきますね。
僕は久しぶりに娘と一緒にウクレレで音楽を始めたこともあって、
写真に対してムキになることをやめてしまいました。
というか、ムキになるのをやめたいから音楽を楽しんでるようにも思えます。
被写界深度にこだわることもやめてしまっているので、本来なら僕みたいな人間こそ、
1インチコンパクトが合っているのかもしれませんが、普段から業務でカメラを触っているせいで、
ゆったりしたカメラにはイライラしてしまう、っていう変なこだわりがあるんですよね。
ホント難しいです。