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デーライトなスナップ

日常の澱#55

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もしかしたら自分が仕事以外で写真を撮るときに一番魅力を感じる被写体は、普段と違う表情の、
身近な光景なのかなぁって思います。








by iidacamera | 2018-12-21 11:00 | 日常の澱 | Comments(4)
Commented by bonyaly at 2018-12-21 18:20 x
娘さんを除いて ですね(笑)
うちでは主要被写体の猫の動きがホントにすばしっこくなってきて
僕の腕と我が家のカメラでは捉えきれなくなってきております。

Commented by iidacamera at 2018-12-21 22:26
> bonyalyさん

娘が大きくなるに従って、行事毎以外なんかで、常に娘にカメラを向ける、
っていうことが少なくなってきてます。
不思議なもんですね。
多分娘の自我が強くなってきてるせいで、素の状態が撮りにくい、
っていうのが原因かなぁって思います。

猫のすばしっこい動きはめちゃくちゃ高性能なカメラを使っても、
なかなか追いつけないでしょうね。

至近距離とか室内はどうしようもないので、いっそ外した写真を連発した方が、
後で眺めて面白いかもしれませんね。(笑)
Commented by bonyaly at 2018-12-22 22:53 x
撮らない、撮れない、あるいは写らなかったことも含めての
「写真」行為ということについて、
先日テレビで「ユージン・スミスの水俣」を見て
改めて考えさせられました

荒れ、ブレ、ボケといったことについても
そうなのかもしれないなと思ったり

身近な光景には見えているのに見ていないという
要素があるなあと思います。
Commented by iidacamera at 2018-12-24 23:46
> bonyalyさん

ユージン・スミスは全く写真の知識がなかった僕が、初めて好きになった写真家です。

昔の写真家さんのドキュメンタリー的な写真というのは、どこか表面的な写真の美しさを捨てたような、
自分の思う写真とは違うものがあったのですが、美術だったか社会だったか忘れましたが、
教科書にも載ってるあの人の写真は、写真としての美しさと、
コミュニケーションがないと撮れない写真の数々の両方にとてもショックを受けました。

今でも写真そのものの美しさに感心することが多いです。

ご紹介の映像は見逃してましたので、ネットで検索するとすぐに全部見れました。
ありがとうございます。

映像を観ながら、自分は後何年写真を撮れるのか、勝手に置き換えてしまってました。
一緒に遊ぶのに必死ですが、記録もちゃんとしとこう、とか勝手に思ったり。笑

被写体と観る人、両方に責任がある、というのは重たい言葉ですね。
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