写真を考える#30
娘が風邪を引いて明日の撮影前にどうやって嫁さんとバトンタッチしたらいいのか、とか、
実家でどれくらいなら面倒を見てもらえるか、とか、薬飲んで復活してくれへんやろか、
とか、そんな話だけで今日仕事を終えてから娘が寝るまで、家族と話をして終わった気がする。
そういうことを話してると、何故か全然違うことを考えてしまった。
多分先日ある方のブログを読んでたからやと思う。
デジタルになって、誰でも写真に気軽に触れられるようになって、面白い視点とか、
ピントがキッチリあった写真とか、構図が綺麗であったり斬新であったりする写真とか、
そういう写真自体はいろんな人が撮れるようになった。
動体だって機材を買って練習すれば、いろんな人が楽しめる被写体になったと思う。
フォトコンの審査する方々なんか、めちゃくちゃ大変なんじゃないか、って他人事ながら同情したり。
だから、ネットや雑誌で騒がれたりする「写真家さん」も、感覚的にはどちらかというと、
写真の先生、みたいに思える方が多いし、web等で自分は写真家だ、って名乗ってる方々も、
やっぱり写真の先生、みたいに見えてしまう方が多いように思う。
もちろんそうじゃない方々がたくさんおられるので、お気を悪くされた方々、申し訳ありません。
なんていうか、撮り方を教えてあげましょう、的な。
感覚的に分からない方々ごめんなさい。文章スルーしてください。
要は、デジタルになって敷居が低くなった分、写真の表面的なところには誰でも簡単に立ち入れるし、
その分表面的なところで勝負する「写真家」さん達がたくさん表れてしまって、
写真と真摯に向き合ってる方々が、ただのマニアックな人扱いになってしまってるんじゃないか、
っていう、変な心配をしてしまってるわけです。
決して毒づきたいわけじゃないので、こんな訳の分からない文章を読んでくださってる方々、
ご理解ください。
まあ世の中何でもそうな訳で、音楽だって映画だってキャッチーなものが受けるし、キャッチーなものだって、
とても素敵やったりするので、一概に否定してる訳じゃないけど、実際には写真家さんの使命って、
自身の写真と向き合う以外にないんじゃないか、って思ったりするし、そういう方々の写真は、
やっぱり見てて面白い。
じゃあ自分はどうやねん、って話になると、恐縮するしかないけど、やっぱり撮り続けるしかないんやろなぁ。
多分自分は仕事以外の写真に対して、真剣に向き合ってるかどうか、そんなレベルではまったくないのかも。
でも、好きなので撮る、っていうのも正しいんじゃないかって思います。
その辺に自分と写真の関りが何か表れてくるともっと良いんやろうけど、今のところは自分の写真も表面的、
って思ってます。
とりとめのない感じがするのは、少し酔っ払いながら書いてるからです。
アラーキーとか大道とか大御所の人達や大御所じゃないけど面白い数々の方々の写真を見てると、
やっぱりスゲー、かっこいー、頭がカッカしてきたー、写真撮りたいー、ってなる訳なんです。
もっと若いころは漠然と自分もそうなりたい、みたいな気持ちがあったように思うけど、
今はもっと純粋かもしれません。
そうなれない、っていう見切りがついたせいかも。(笑)
長文になったのでこの辺で。
気持ち良く酔っぱらっております。
by iidacamera
| 2017-12-26 23:27
| 写真を考える
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